カテゴリ
以前の記事
2014年 05月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 04月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 10月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2010年 11月 最新のコメント
検索
タグ
その他のジャンル
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1 2012年 03月 12日
震災から1年、これから
![]() 理事 大震災復興等支援特別委員会委員長 吉村 真行 東日本大震災から1年が経ちました。 ご家族を失われた方々、仮設住宅で暮らす方々に改めまして心よりお見舞い申し上げます。 日本中の多くの皆さんがこの大災害に直面して、自分は何をすべきか、何ができるだろうかと自問し、義援金、ボランティアなど様々な活動をされたことと思います。 当協会では、この有事に直面して専門家として役割を果たすべきとの多くの会員の思いから昨年4月に大震災復興等支援特別委員会を設置しまして、三陸鉄道・岩手県山田町の協力のもと、広域に亘る被災地の災害状況を詳細に視察させて頂くとともに、復興再生に向けた地域再生ビジョン、グランドデザイン、安心・安全で住民主体の「まちづくり」等の提言の取り纏めと支援活動を行うこととしました。 昨年12月に河野理事長が岩手県山田町の沼崎町長と会見し、当委員会で取り纏めた「震災復興へのグランドデザイン・ロードマップ」の提言書をお渡しするとともに、プレスリリースを行う等、本格化する復興まちづくりの支援活動への第一歩を踏み出したところです。 復興まちづくりにあたっては、環境未来都市構想など先駆的な取り組みも進められています。少子高齢化社会、環境問題など日本全体が直面している課題は、被災地の復興にあたっても共通のテーマであり、スマートシティ、コンパクトシティ、医療・福祉・介護の先進モデルなどこれからの“日本のかたちづくり”が被災地で始まるという期待を持っています。 地域独自の特徴を活かして、決してリトル東京ではない街が再生されることを願いながら、若者も住み続けたいと思う復興まちづくりが実現するように、私たち不動産カウンセラーは専門家としての支援活動を継続する所存で取り組んでいます。 また、震災直後から懸念しております首都直下大地震についても、重要なテーマであると認識しておりますので、当委員会では、被災地での復興まちづくりへの取り組みとともに、首都直下大地震に対する事前・備えのまちづくりについても検討を進めていきたいと考えております。 いずれの課題も簡単ではありませんが、10年後、20年後に振り返ったとき、決して後悔しないように、震災から1年経った今、自分は何をなすべきか、何ができるだろうかと再度自問して行動したいと思います。この戦後最大の国難に立ち向かうには、幾多の専門家の英知を結集することが必要であろうと思います。不動産カウンセラー、不動産戦略アドバイザーは、これら専門家の皆様と協力し、困難に立ち向かうべく今後も活動してまいります。 今後ともどうぞご支援・ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。 ▲
by JAREC
| 2012-03-12 11:18
| 東日本大震災関連
2011年 12月 19日
震災復興へのグランドデザイン・ロードマップに関する提言
序 東日本大震災をもたらした「東北地方太平洋沖地震」は、破壊断層の範囲は南北400 km×東西200 km、断層の滑り量は最大20メートルという1000年に一度の規模の地震であり、それが引き起こした巨大津波は、世界最大級の釜石港防潮堤をはじめ各地で防潮堤を乗り越え、あるいは破壊し、市街地に壊滅的被害を与えた。 地震国日本は歴史の中で多くの大津波を経験しており、三陸には過去の被災から教訓を得て既に高台に集団移転していた集落もあったが、一方で、平地に家を建てて住んでいた人々の心の中に、「大きな防潮堤があるのだから津波はここまでは来ないだろう」という油断が生じていたとすれば悲劇である。大自然の力を、人が作った構造物で完封することは不可能なことが再認識され、津波を受け流す発想、1000年に一度の巨大津波が来たとき、少なくとも人々の命は守る「減災」の考え方が各界で提唱されている。 そして今、各地で復興計画案が作られており、岩手県を例に取れば被災12市町村の復興計画(行政素案)が出揃った。これらの素案は、国の復興基本方針や県の復興基本計画に基づき、各市町村・地域の産業や自然条件が考慮されて策定されているが、被災者の個別事情に応じたさまざまな意向は未反映で、住民主体のまちづくり提案が待たれる。 被災者の中には「復興住宅」への早期入居を望む声も多いが、防潮堤の築造、高台の切土造成、や低地の嵩上げ(盛土造成)、道路や鉄道の再整備等には相当の時間を要し、仮設住宅を出た後の住まいや雇用を求める被災者に対して、復興の過程の各段階の生活がイメージできるようにする必要がある。 さらに、被災前から高齢化、人口減少等の問題が進行していた多くの地域において、復興は単なる原状回復であってはならない。生産資源の分布に基づく適切な産業配置、そこから生まれる雇用の総量に適合した人口フレームが計画されるべきである。その上で、被災地の復興だけではなく、被災者の移転受け皿としての意味も持つ、地域中心都市の街なか再生や新市街地の形成など、大きな視野で「グランドデザイン」を構築し、その実現に向けた「ロードマップ」を策定して、二度と今回のような悲劇を繰り返さないまちづくりを的確に推進すべきである。 同時に、震災復興を「不動産・地域・市街地のあり方」という観点から見ると、少々異なったビジョンが見えてくる。土地・建物は国民の生活・活動に欠くことのできない基盤、安定した価値を持つ資産であるが、今回の地震は、土地の平面的変位や地盤沈下をもたらし、津波が建物を損壊するなど、その基盤を根底から揺るがしてしまった今、的確な土地利用計画に基づいた安心・安全な「不動産・地域・市街地」を再構築すべきである。 この提言は、「不動産・地域・市街地のあり方」に関する専門家集団である当協会が、本年4月に東日本大震災復興等支援特別委員会を設置して、末尾添付のメンバーの参画を得て取り纏めたもので、上記のような視点にたって世に出すものであり、今後の震災復興の一助になれば幸甚である。 平成23年12月15日 NPO法人日本不動産カウンセラー協会 理事長 河 野 擴 More ▲
by JAREC
| 2011-12-19 11:41
| 東日本大震災関連
2011年 05月 30日
3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」の被害の報告は報道各社でも連日のように取り上げられているところです。
この度、当協会では「大震災復興等支援事業への取り組み」を行うべく、4月に開催した役員会で、「大震災復興等支援特別委員会」を設置することが決まり、今後の活動のために、現地を視察する必要があるとの判断から、岩手県の三陸鉄道が企画する「被災地フロントライン研修」に参加することを決め、去る5月2日、3日と研修に参加した。この企画の第1号ということで、マスコミ各社にも取り上げられ、5月3日の「岩手日報“被災地から”」の欄で取り上げられた他、NHKでは同日午後9時からの全国ニュース、また、翌4日のフジテレビ系列の全国ニュースでも午後6時頃に視察風景が放映され、世間の関心の高さを感じるとともに、当協会における今後の取り組みの検討を急ぐ必要性がさらに高まった。 今回の視察地域 ![]() 5月2日(月) 今回の視察は、東北地方の会員のほか、当協会の役員等による総勢17名での参加となった。 視察初日は、現地の風が強く、天皇皇后両陛下の岩手慰問のための飛行が延期となるという天候の中、羽田からの飛行機が条件付き飛行となり、“いわて花巻空港”へ着陸できるかどうか心配したが、ほぼ定刻にいわて花巻空港へ着陸した。 ここから、JR新幹線で到着した4名を新花巻駅でピックアップし、視察を始めた。 何れの被災地も太平洋沿岸で空港、JR駅からは約2時間のバス移動となった。 釜石市 被災当時からみれば自衛隊により道路の“ガレキ”は整理されていたが、被災した家屋等はまだ津波の爪痕を残していた。 アーケード街の交差点に残された歌碑、それがある風景、自動車の残骸、本当にひどいものであった。 ![]() 釜石市大町交差点にあった石碑 ![]() 釜石市大町付近にあった車の残骸 ![]() 釜石市大町付近の給油所の惨状 新日鉄釜石製鉄所も被害にあったとのこと、海に近いところはまだ残骸が見られたが多くは整理されたとのことである。 はるか彼方に観音像(釜石大観音)がすくっと立っていた。 沿岸はまたしても瓦礫の山である。 ![]() 自衛隊によって整理された自動車 ![]() 大船渡市 釜石から大船渡までの沿岸部は、やはり瓦礫の山、船も打ち上げられていた。 ![]() 遠くの海の近くに鉄筋コンクリートの建物が見える。海岸近くに残る建物はこのホテルだけ。あとは、何もない。このホテルも地盤沈下のため大潮では水が入るとのこと。 ![]() 山側を見れば、役場、消防本部、体育館等いくつかの鉄筋コンクリートの建物が残っていた。でも、これらも全て津波にのまれ、体育館は避難場所となっていたので、犠牲者も多かったとのことである。 この大船渡市も一面見通せる状態である。 ![]() ![]() 地盤沈下も見られ、この街はどう変貌するのか予想もできない。 大船渡市“吉浜“と呼ばれる地域は今回の津波被害はほとんど受けていないとのこと。本当に道路1本、高低差1メートルにより、被害から逃れた地域もたくさん見られた。 大船渡市から陸前高田市へ移動する道からの眺めもほとんどが瓦礫であったが、自然の美しさもすでに戻っており、三陸海岸の海は美しく見えた。 ![]() この道中から“線路の残骸”も見え始め、海岸線を通っていたであろう三陸鉄道南リアス線やJRの被害も甚大であったことがわかる。 陸前高田市 大船渡市から陸前高田市へは国道45号で向かった。 その途中の沿岸部はやはり瓦礫の山であったが、内陸部は緑が残っていた。 ![]() ところが、陸前高田市の沿岸部に入った途端、鉄筋コンクリートの建物の4階まで津波にのまれた建物の残骸が目に飛び込んだ。国道45号沿いは津波の爪痕により殆ど更地化していた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 市街地中心部は、軽量鉄骨で建てられた建物も津波にのまれ、その残骸や片付けられていない建物が多くみられた。 さらに、国道340号沿いの気仙川付近も津波が川を上ったとのことで、ほとんどの建物は残っていなかった。 ![]() ![]() 盛岡市への帰路に立ち寄ったループ橋の桜が美しかった。 ![]() ▲
by jarec
| 2011-05-30 09:00
| 東日本大震災関連
2011年 05月 30日
5月3日(火)
下閉伊郡山田町 国道45号線沿いから町の中心部へと視察したが、この町も昨日の視察地域同様に瓦礫が散乱していた。 ![]() ![]() 山田町は地震、津波、火災といくつもの被害に遭っており、焼け残った倉等も見られた。 ![]() ![]() JR山田線の陸中山田駅も被災した。 ![]() 今回は、町役場を訪問して、役場の屋上から説明を受けた。その説明の中で、山田町は半島と入江の両方から津波が湾内に入り、湾のほぼ中央で両方から来た波がぶつかり合って水柱となり、その後町の方へ津波が押し寄せたとの話が聞かれた。役場の屋上から津波にさらわれる家屋を見ていた職員の方がおられ、新築したばかりの自宅が流されてしまったとの話もされておられた。 ![]() ![]() 既に、家屋の解体の意思表示がなされているものも見受けられた。 ![]() 宮古市 山田町から宮古市への道からのぞむ被災地 ![]() ![]() 鉄道の橋も流されていた 今回の「被災地フロントライン研修」を企画された三陸鉄道の本社へ伺い、三陸鉄道の被害とこれまでの取り組み、今後への対応について望月社長から説明を受けた。地震発生時から翌日までの臨場感溢れる現場での取り組みについてお話を聞いたが、危機管理とそれに備える体制がしっかりできていたことが今後の取り組みにも活かされるのではないかと思った。 三陸鉄道本社を後にして、視察に向かったのは、田老地区である。この地区の防潮堤は「万里の長城」とも呼ばれ、津波には万全と思われたものであったが、今回の地震と津波でその姿は湾の中に切れ切れになってしまっていた。 ![]() ![]() 防潮堤をいくら堅固にしてもそれを超えるものがあることを実感したとの話を伺った。 この地区は、明治29年と昭和8年にも津波に襲われており、その津波の高さを示した標識があったが、今回の津波はそのいずれも超えた強い津波であったと感じた。それは、明治29年の津波の高さを示す標識よりも高いところに軽自動車が打ち上げられていたのを目の当たりにしたからである。 ![]() いずれにしても今回の地震は良く言われる「想定外」のことが多すぎたのかもしれない。 5月4日(水) この日は、被災地フロントライン研修とは別に、宮城県の被災地を視察した。 一関市からレンタカーで気仙沼市に入り、海岸沿いの幹線道路が津波被害で不通であったため、山間部の山道を抜けて南三陸町へ入り、一関に戻るというコースでの視察となった。 気仙沼市 気仙沼市の県道5号線沿いに入ると異臭に見舞われた。道沿いに車を走らせると漁港につながっており、船が打ち上げられていたり、建物の崩壊が見られたりした。 漁港から高台の街中を抜けて国道45号の大川にかかる橋をとおり、国道から大川の方へ入ってみると、ここでも津波は川を遡り、川の中には建物や車の残骸が残されたままであった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本吉郡南三陸町 ここ南三陸町は、テレビで志津川病院の救助を求める映像が流されていたのを記憶していたが、国道45号を町の方へ向かっていくと一面瓦礫に覆われていた。 この時はまだ瓦礫の整理作業をしている人や、視察に来ている人々も見受けられたが、岩手県の被災地に比べてまだまだこれから救援の手が必要になるように感じた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 川にかけられた仮設の橋 ![]() ▲
by jarec
| 2011-05-30 09:00
| 東日本大震災関連
2011年 03月 14日
2011年3月11日金曜日に東北地方で発生しました地震と津波により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被害に遭われた被災地および被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。 被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。 被災地の現状 ABCニュースのHPから 心温まる投稿 prayforjapan.jp ▲
by JAREC
| 2011-03-14 16:15
| 東日本大震災関連
1 |
ファン申請 |
||